“ミュージシャン像”改める
 2006年の1月に発売されたデビューシングル『そのまんま東へ』は売れなかった。インパクトのあるタイトルやCDジャケットの写真は、Yahoo!のトップページのニュースになり、その時は「追い風が吹いた!」と喜んだけど、数字は全く伸びなかった。
彼のパフォーマンスをみているとまるで感じられないが、ライブの直前は今も緊張で少々ナーバスになるという
 4月。満を持してリリースしたセカンドシングル『恋の片道切符』。当時、僕たちが一番自信を持っていたお気に入りの楽曲。でもこれも思ったほど世間には届かず、3枚目のシングル『ALWAYS』では、さらに売り上げが落ち込んでしまった。
 学生時代、大好きなミュージシャンのライブに何度か足を運んだ事がある。豪華なセットが組まれたステージ上で、まばゆいスポットライトと大観衆の歓声を浴びながら、堂々と胸を張り歌っているその姿が、心に焼き付いていた。
 デビューした頃、なんとなく自分自身もそんなミュージシャンになれると思っていた。敷かれたレールの上を歩んでいけば、すべての憧れの地にたどり着けるような気がしていた。しかし意気揚々と踏み出した日本の音楽シーンは、僕たちの想像以上に厳しく険しいイバラの道だった。
「ちっぽけな勇気」リリース時のインストアライブ。100店訪問では1日に5〜6店舗を回ることもざらで、毎日自分たちがどこにいるのか分からなくなるほどだった
 僕たちは慌てて考えを改めた。いっぱしのミュージシャンを気取ってる場合ではない。FUNKY MONKEY BABYSなんて、なんのバックボーンも持たないただの新人だ。年間に何百組とデビューする新人ミュージシャンの中の、ほんの一組だ。それでも僕の人生においては、このグループでデビューできた“今”が最後のチャンス。やれる事はなんでもやろう。そう心に誓った。
 まずは全国各地のショッピングモールを廻(まわ)った。店内のスペースの一部をお借りして、小さなステージを組み、そこでライブをさせてもらい、CDを一枚ずつ手売りした。今でこそ幅広いミュージシャンが同じようにお店を回ってるけど、当時は皆、「カッコ悪い」と敬遠していた。でも僕たちはそこに大きなチャンスがあると信じ込んでいた。
ワンマンライブ直後の1月に出たシングル「Lovin’Life」のジャケットには女優・中島朋子を起用。このヒットで全国区に躍り出るとは、この時まだ想像できていなかった
 真夏の炎天下、電車と徒歩で関東近郊のCDショップ100店舗に、ご挨拶をさせてもらった事もあった。あの日、僕がこの目で見たミュージシャンのように“堂々と胸を張る”どころか、背中を丸め、頭を下げ続けていた。別に卑屈になっていた訳ではなく、心からの哀願だった。すぼめた両肩には、周りのスタッフさんの期待や、自分自身の夢が乗っかっている。こんなところで諦める訳にはいかなかった。
 その地道な努力は、徐々に実を結んでいった。ありがたい事にCDのセールスやライブ動員数も少しずつ伸びていった。きらびやかな“ミュージシャン像”から脱却し、背伸びをする事をやめ、地に足をつけた時、自分たちなりの歩み方が分かったような、そんな気持ちだった。
 そして、今でも忘れない2006年の12月。初のワンマンライブ。薄暗いステージ袖で、僕は緊張をほぐすように大きく息を吸い込み、ほんの少しだけ胸を張った。(ファンキー加藤)
(2013年5月22日
読売新聞)

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